笹の墓標展示館について
北海道朱鞠内にある旧光顕寺は、戦時下の強制労働の死者を弔い、遺骨と位牌を安置してきた歴史的建造物です。1995年、本堂を改装して「笹の墓標展示館」と命名された建物は、次の役割を果たしてきました。
1. 戦時下の朝鮮人強制労働、日本人タコ部屋労働者の遺骨を発掘・安置し、追悼すると共にご遺族に返還する営みの拠点。
2. 名雨線鉄道工事、雨竜ダム工事をはじめ各地の強制労働史料と遺骨発掘のあゆみを保存・展示する東アジア有数の歴史資料館。
3. 22年目の東アジア共同ワークショップ、学校・団体の歴史学習など、民族や世代、国境を越えた多様な人々の交流の空間。
朱鞠内・旧光顕寺のあゆみ
1913年
1932年
1934年
1935年
1938年
1941年
1942年
1943年
1964年5月
1976年9月
1978年2月
1980年5月
1995年9月
1997年8月
1998年2月
2001年8月
2015年9月
2017年8月
2019年2月
朱鞠内旧御料地に岐阜などから団体入植はじまる
入植者の手で真宗大谷派三股(みつまた)説教所開設
現在地に光顕寺本堂(間口6間)建立
名雨線鉄道工事(名寄=朱鞠内)着工
※この年から鉄道・ダム工事に関連する死者が急増
雨竜ダム起工式 朝鮮人労務動員が本格化
名雨線開業、これにより名寄=深川間(深名線)全線開通
ダム工事関連で統計上の移入朝鮮人数3000人にのぼる
雨竜ダム完成、東洋一のダムと称される
※工事関係者が去り、400戸の集落は次第に縮小
朱鞠内大火、116戸が焼失し人口減少が急速にすすむ
光顕寺は無住となり、旭川市聞光寺の兼務寺院となる
本堂裏から犠牲者名が記された位牌80基余を発見
国内最低気温記録となる -41.2℃ を観測
証言をもとに共同墓地の笹薮を発掘、遺骨が多数出土
以後、84年までに笹薮の下から16体を発掘、寺に安置
JR深名線廃止、光顕寺本堂の管理が空知民衆史講座に移る
朱鞠内歴史保存委員会「旧光顕寺・笹の墓標展示館」開設
日韓共同ワークショップ(参加250人)共同墓地を発掘
東アジアの参加者で冬の雪下ろしワークショップはじまる
東アジア共同ワークショップ(参加200人)により再度、
共同墓地周辺を発掘。発掘現場に追悼碑・墳墓を造成
「70年ぶりの里帰り」朝鮮半島出身者の遺骨を故郷に奉還
20周年東アジア共同WSで展示内容などリニューアル
積雪被害により本堂が大きく傾き、解体・再生を決意
笹の墓標展示館からはじまった日本、韓国、在日コリアンの若者たちの15年の歩みは、長編ドキュメンタリー映画にもなっています。5本立て、計9時間にもおよぶ大作です。
監督 影山あさ子・藤本幸久 企画・制作・著作 森の映画社 全5章/9時間9分